10月17日(木)放送予定の【直撃!シンソウ坂上SP】で、惜しまれながら40歳の若さでこの世を去った伝説の音楽ユニット「ZARD」坂井泉水さんの特集が放送されます!
そんな坂井さんの輝く魅力を形作ってきた過去や経歴、家族を調査してみました。
一体、どんな家庭で育ち、どのようなきっかけでこの世界に入ったんでしょうか?
興味のある方はぜひ読んでみてください!
「ZARD」のボーカリスト坂井泉水とは?
本名:蒲池幸子
生年月日:1967年2月6日
出身地:神奈川県平塚市
血液型:A型
身長:165㎝
出身校:松蔭女子短期大学
所属事務所:SENSUI
レーベル:B-Gram RECORDS
レコード会社:ビーイング
「ZARD」とはバンド名ではなく、坂井泉水さんを中心としたユニット名もしくはプロジェクト名というほうが意味合い的には近い感じになります。
一時はバンド編成らしい時期があったものの基本的に固定メンバーは坂井さん一人で、その他はサポートメンバーという形で楽曲に参加しています。
「ZARD」が流行っていた当時は丁度「GLAY」や「L’Arc〜en〜Ciel」などのバンドも出てきており、「ZARD」のCDジャケットだけいつも坂井さん一人だったのでボーカル以外のメンバーは誰なんだろうと思ってましたが、雑に言えば「ZARD」=「坂井泉水」だったわけです。
極度のあがり症でトークも苦手だったためメディアへの露出が極端に少なく、余計謎に包まれた感が増していたのも事実であり、実際、坂井泉水は存在しないんではないかという都市伝説まで生まれる程でした。
その美貌に加え神秘的な部分もまた世間の関心や興味を引く要因となり、ビーイングの販売戦略としても効果的だったように思います。
少し違いますが、メディア露出が少なく伝説のバンドといえば「BOOWY」を思い出しますね。
坂井泉水の過去の経歴とは?「ZARD」以前は○○だった!
類まれなる美貌と美声の持ち主で、多くの心に残る詞を世の中に送り出した天才作詞家でもある坂井さんですが、意外にも学生時代は運動少女でした。
中学時代は陸上部のかたわらギタークラブでも活動してましたが、高校時代は硬式テニス部に所属しています。
あくまでも勝手な印象ですが、運動部系ではなく文化部系のイメージだったのでこれは本当に意外でした!
そして、短大卒業後は普通に就職をし、不動産会社で2年間OLとして勤務しています。
その後は街頭スカウトから本名でモデルとして活動を始め、なんと、1990年の23歳頃からはレースクイーンもしており、同期にはあの岡本夏生さんがいます!
「ZARD」としてはメディアにほとんど姿を見せなかった坂井さんですが、実は1989年から1991年頃まではちらほらテレビにも出演されており、グラビア雑誌にも多数掲載されているんです!
同時期に歌手として活動したいという思いがあった坂井さんは、「B.B.クィーンズ」の音楽コーラス隊「B.B.クィーンズシスターズ」のオーディションを受け、あろうことか落選してしまいます。
ですが、その時にビーイングの社長である長戸大幸さんに才能を認められ、坂井さんの人生は「ZARD」へと向かうことになります。
「B.B.クィーンズシスターズ」とは後の「Mi-Ke」で、いわゆるアイドルグループでした。
おそらく坂井さんとしては、どんな形であれとにかく歌手デビューのきっかけが欲しかったのだと思います。
「ZARD」を知っている今だからこそ坂井さんがアイドルとはピンときませんが、もしかしたら長戸さんには当時から既に先のビジョンが見えてたのかも知れませんね。
ちなみに、ビーイング社長の長戸大幸さんとは、坂井さんとお付き合いをしていたという噂のある人物でもあります。
坂井泉水の家族構成は?
坂井さんは生涯独身で子供もいませんでしたが、何人家族でどのような家庭で育ってきたのでしょうか。
調べたところ坂井さんは両親、妹、弟の5人家族で長女のようです。
父親の職業などの情報は一切無くわかりませんでしたが、実家は町田市つくし野という情報があり、この辺りは大きい家が多いものの土地の坪単価はそれほど高くはないので、大企業の重役とかではなく一般的な家庭で育った可能性が高いです。
妹と弟については少しですが情報がありました。
まず妹は2歳年下で陽子さんというらしく、写真はありませんでしたが坂井さんの本の中に謝辞として名前が出ているようです。
次に、弟については坂井さんより5歳年下の和明さんという名で、こちらも写真はありませんでしたがレストランを経営されていたらしいです。
ただ、2010年に閉店されていて、今はどうされているかまではわかりませんでした。
横浜市青葉区の住宅街にあったレストラン「soffio」には坂井さんがレシピを考えた料理もあったといい、看板の字も坂井さん本人が書いたと言われています。
閉店前に一度行ってみたかったのですが、最寄りのあざみ野駅から徒歩30分という立地の悪さも原因の一つだったのかも知れませんね。
【直撃!シンソウ坂上SP】で「ZARD」坂井泉水を特集!!
番組案内より。
シングル45作品、オリジナルアルバム11作品、総楽曲数約150曲を発表した伝説のバンド・ZARD。そのボーカリスト・坂井泉水が40歳の若さで早世してから今年で12年。今回番組では、「負けないで」などZARDの数々の名曲でバックコーラスを務めていた大黒摩季や、ZARDのミュージックビデオの監督を務めた映画監督の岩井俊二をはじめとした関係者を徹底取材。そして、めったに公に姿を見せなかったため、「存在しないのではないか」という都市伝説まで生まれた坂井のレコーディングの際のオフショットなど貴重な映像の数々を公開。さらに坂井が残した500枚にもわたる直筆メモなどを入手し、アーティストとしてのこだわりを紹介しながら坂井の生涯を振り返っていく。大黒や岩井が見た、素顔の坂井とは!?晩年は病に苦しんだ坂井泉水と同じく、自身も婦人科系の病を患った大黒が涙で語った坂井泉水のエピソードや、闘病中も歌い続けた坂井泉水の秘話とは?そして、坂井の最期に立ち会った関係者が明かす、坂井の死の真相とは一体!?
「グロリアス・マインド」
坂井さんが最後の力を振り絞ってレコーディングした曲として紹介されています。
また、坂井さんの死は関係者からの証言や現場状況からみて「事故」と結論付けされてました。
確かにわずか3mのところから飛び降りる人はほとんどいないんではないでしょうか。
ただ痛い思いをするだけになってしまう可能性が高いですからね。
まとめ
今回は13回忌の節目という事もあり、「ZARD」坂井泉水さんについて調べてみましたがいかがでしたか?
最後にこれまでの内容を振り返っておきましょう!
- 「ZARD」はバンド名ではなくプロジェクト名で固定メンバーは坂井泉水のみ
- メディアへの露出が少なかったため、坂井泉水は存在しないという都市伝説まで生まれた
- 「ZARD」以前はOL、モデル、レースクイーンをしていた
- アイドルのオーディションに落選後、そこで才能を認められ「ZARD」プロジェクト始動
- 家族は両親、妹、弟の5人家族で坂井泉水は長女
- 死の真相は「自殺」ではなく「事故」だった
最後まで読んでいただきありがとうございました!